【読書】夢をかなえるゾウ 感想
お疲れ様です。
ダメダメな僕のもとに突然現れた、ゾウの姿をしてなぜか関西弁で話す、とてつもなくうさん臭い神様"ガネーシャ"。聴けば、ナポレオン、孔子、ニュートン、最近ではビル・ゲイツまで、歴史上のキーパーソンは自分が導いたという。しかし、その教えは「靴を磨く」とか「コンビニで募金をする」とか地味なものばかり。こんなんで僕は成功できるの!?
水野敬也さんの本「夢をかなえるゾウ」。
2シーズンに渡りドラマ化もされました(1作目は小栗旬さん、2作目は水川あさみさん。どちらもガネーシャ役は古田新太さん)。
この本のことは知っていましたが、普段あまり自己啓発系の本は読まないため、ずっとスルーしていました。
今回たまたま家の本棚にこの本があることを発見し(嫁さんと共用で使っているため、全く知らない本とかもあります)、読んでみるかという気になったので読んでみました。
本でも実際に書かれておりますが、成功するための1つ1つのポイント自体はよくある自己啓発本と何ら変わりません。例えば「人の良いところを見つける」だとか、「自分の得意な分野を見つける」とか。しかし、ガネーシャのキャラクターや、主人公との会話の軽快さで飽きずに最後まで読めました。
「せやな、たとえば、ニュートンくんっておるやろ?」
「ニュートンクン?」
「そ、ニュートンくん」
「いや、わからないです」
「え!?自分知らんの!?アイザック・ニュートンやで」
「アイザック・・・。ニュートン!そんなの知ってますよ。めちゃくちゃ有名じゃないですか。万有引力を発見した人ですよね」
「そや。そのニュートンや。彼も基本的にワシが育てたんやで」
「・・・冗談はやめてください」
「誰も冗談なんか言うてへんわ。だいたい、重力のこと教えたったのもワシやがな。あの子全然気いつけへんから、リンゴ落としたったんや。その落としたリンゴにも気いつかなんだから、結局、三回リンゴ落としたったもん。感の悪い子やったで」
基本的にこんな感じの会話で進んでいきます。こう見てみると、ガネーシャ役に古田新太さんはピッタリという気がしますね。
ドラマは見てませんでしたが、興味を持ちました。
自分の生活で改めないといけないと一番思うのは、「何かを捨てる」ということです。
1日の時間は当然限られていて、その中で新しく何かを始めようと思っても、今の生活の中ではそれを入れるスペースなんてありません。
最初のうちは自分もやる気があるので少しはできますが、それを日常にするためには、今まで使っていた時間のうちどれかを捨てて、そこに当てはめるしかありません。
「本を読むぞ」とか「毎日勉強するぞ」とか思っても、仕事から帰ってからなんとなくテレビを見たり、ネットサーフィンしてしまう。その時間も、わざわざ有限の中の時間を使ってそれをしているんですよね。
更に、それをするためには意識を変えるだけでは意味がないとガネーシャは言います。
意識を変えるのは全く何も変わっていない。ただ自分に期待しているだけだと。
「みんな『意識を変えよう』とするやん?それなんでかわかるか?」
「さあ?どうしてですか?
「『楽』やからや。その場で『今日から変わるんだ』て決めて、めっちゃ頑張ってる未来の自分を想像するの楽やろ?だってそん時は想像しとるだけで、実際にはぜんぜん頑張ってへんのやから。つまりな、意識を変えようとする、言うんは、言い方変えれば『逃げ』やねん」
意識を変えようとするのは『逃げ』。僕はそんなことを今まで考えたこともなかった。「1ヶ月で本を5冊読む」そう決めてこれから変わっていく僕の人生を考えるのは、確かに楽しかったし興奮した。でもそれが逃げだったなんて。
「それはある意味、自分に『期待』してるんや」
「期待、ですか」
「そうや。たとえば自分は『今月から本を1ヶ月に5冊読む』と決めても実際はできへんのに、未来の自分に期待してしまいよる。読める思てしまいよる」
確かに「◯◯をやる」と決めて興奮している時は、それを実際にやる時のつらい作業を忘れているのかもしれない」
「本気で変わろ思たら、意識を変えようとしたらあかん。意識やのうて『具体的な何か』を変えなあかん。具体的な、何かをな」
ガネーシャは繰り返すようにゆっくりとした口調で話した。
いやもう本当にガネーシャの言う通りです。
例えば本を読むためにインターネットサーフィンをやめるぞ!と思っても、その数十分後には携帯を触っている自分がいます。テレビをボーッと見ている自分がいます。
テレビを捨てる!とまではいかなくても、使わない時はコンセントを抜いておき、次に使う時になんとなくはONにできない環境にしていくだけでも効果はあるといいます。
喫茶店で勉強しようと思っても、結局携帯を触ってしまうので、思い切って携帯は家に置いていくようにして、まず環境を変えなければ意味がないと気が付きました。
逆に言えば、そういった誘惑がある状態では負けるのが普通で、意識のみでそれに打ち勝つというのは諦めた方が良いんですよね。
以上です。
よろしくお願いします。
機械学習でよく使われる「活性化関数」についてまとめてみた
お疲れ様です。
ゼロから作るDeep Learning ―Pythonで学ぶディープラーニングの理論と実装
- 作者: 斎藤康毅
- 出版社/メーカー: オライリージャパン
- 発売日: 2016/09/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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機械学習に興味があり、本を読んだりインターネットで調べたりしてなんとなく理解はしているつもりなのですが、実はその「つもり」が一番やっかいで、結局自分は何も学んでいないのではないかと最近考えております。
このような分野を本当に理解するためには、やはり自分の手で実装してみるのが一番ということで、巷でよく良書と言われているこちらの本、「ゼロから作るDeepLearning」を使用して実際に手を動かしながら勉強中です。
良書と言われているだけあり1つ1つのセクションが丁寧でわかりやすく、今までなんとなく理解したつもりで済ましてきたことも、実際にpythonでコーディングしてみると新たな発見やより深い理解が得られました。
少しづつまとめていきたいと思います。
まずは、機械学習でよく使われる「活性化関数」についてまとめてみました。
1.スクリーンショットのとり方
[command]+[Shift]+[4]
2.pythonのエラー回避
SyntaxError: Non-ASCII character '\xe3' in file
上記のエラーが出た場合、文字コードのエラーのため、.pyファイルの最初の行に以下を追加することで回避できる。
# coding:utf-8
活性化関数
入力信号の総和を出力信号に変換する関数。
「活性化」という名前の通り、入力信号の総和がどのように活性化(発火)するかということを決定する役割がある。
『ステップ関数』『シグモイド関数』『ReLU関数』などがある。
各それぞれの違いを見ていく。
ステップ関数
閾値を境にして出力が切り替わる関数。
単純パーセプトロンでは、活性化関数にステップ関数を採用していることとなる。
一般的に「単純パーセプトロン」といえば、単層のネットワークで、活性化関数にステップ関数を使用したモデルを指す。
「多層パーセプトロン」というと、多層でシグモイド関数などの滑らかな活性化関数を使用するモデルを指す(そしてこれがニューラルネットワークとなる)。
グラフで表そうとするとソースコードは以下。
# coding:utf-8 import numpy as np import matplotlib.pylab as plt #ステップ関数 def step_function(x): return np.array(x > 0, dtype=np.int) x = np.arange(-5.0, 5.0, 0.1) y = step_function(x) plt.plot(x, y) plt.ylim(-0.1, 1.1) #y軸の範囲指定 plt.show()
実際に出力されるグラフ。
シグモイド関数
ニューラルネットワークで用いられる関数の1つ。
実装してみてステップ関数と比較してみる。
# coding:utf-8 import numpy as np import matplotlib.pylab as plt #シグモイド関数 def sigmoid(x): return 1 / (1 + np.exp(-x)) x = np.arange(-5.0, 5.0, 0.1) y = sigmoid(x) plt.plot(x, y) plt.ylim(-0.1, 1.1) #y軸の範囲指定 plt.show()
実際に出力されるグラフ
ステップ関数と比較してみる。
■異なる点
・ステップ関数が0を境に急に出力を変えているのに対し、シグモイド関数は滑らかな曲線を描いている。
・ステップ関数が0か1かの値しか返さないのに対し、シグモイド関数は実数(0.731とか0.880とか)を返す。
■共通する点
・入力が小さいときには0に近く(もしくは0)、出力が大きい時に1に近づく(もしくは1)。
→入力信号が重要な情報であれば大きな値を出力し、重要でなければ小さな値を返す。
・入力信号の値にかかわらず、0から1の範囲の値を返す。
・非線形関数(1本の直線ではなく、折れ曲がった線となる)。
ReLU関数
シグモイド関数はニューラルネットワークにおいて古くから使用されていたが、最近よく使用されることになったのがこのReLU関数。
入力値が0を超えていればそのまま出力し、0以下であれば0を出力する単純な関数。
# coding:utf-8 import numpy as np import matplotlib.pylab as plt #ReLU関数 def relu(x): return np.maximum(0, x) x = np.arange(-5.0, 5.0, 0.1) y = relu(x) plt.plot(x, y) plt.ylim(-1.0, 6.0) #y軸の範囲指定 plt.show()
実際に出力されるグラフ
なぜシグモイド関数ではなくReLU関数が使用されることになったのかは、「勾配消失」が深く関わっているのですが、それはまた実装しながら勉強し直そうと思います。
また、この関数実装は本書では全8章あるうちのまだ第3章の部分です。
これからこれらの関数を使用して実際にDeepLearningを実装することになるのですが、まだそこまで進めていないので、随時まとめていければと思います。
更にこの本の第2弾「ゼロから作るDeepLearning〜自然言語処理編」もかなり良さそうなので、そこまで一度網羅できるように頑張ります。
以上です。
よろしくお願いします。
【読書】Newton 統計と確率〜よりよい判断をするための数学〜 感想
お疲れ様です。
本屋でたまたま見つけて興味を持ち購入。
学生時代に順列や組み合わせを学んだ記憶はあるのですが、忘れていることも多く、この本は日常の例題を使用して説明をしているためわかりやすく読めました。
出てくる数式等は難しいことはないので、これから統計や確率を再度勉強し直し始める時の1冊として使用するのが良いと思います。
私が本の中で特に興味深かったのは、「クラスター錯覚」でした。
実際にはランダムであるにもかかわらず、たまたま同じ出来事が続けて起こると、それをランダムではないと錯覚してしまうようです。
例えば、いろいろな歌手の曲をランダムでプレイリストにして流すとき、本当にランダムであれば同じ歌手が続くこともよくありますが、意図的に同じ歌手が続かないように組まれた時のほうが人はランダムであると感じます。
前に読んだ『暗号解読』という本でも似たようなことが書かれていました。
暗号を作成する際、解読者にばれないように「解読の鍵とする文字は、同じものが絶対に続かないようにする」というルールをつけました。
しかし解読者からするとこれは全くの逆効果で、暗号の幅を狭めるだけとなっていました。
アルファベット26文字で文字列を作る場合、「a」という文字に続く文字は通常であれば26文字のはずですが、このルールのために次の文字は「a」以外となり、25文字となってしまうのです。
これを考えると、パスワードでよくある「必ず大文字と小文字、数字を使用してください」というルールも、パスワードの幅を狭めているのではないかと思いました。
また、少しですが人工知能や機械学習(ニューラルネットワーク)にも触れており、そちらの畑で暮らしている身としては興味を惹かれました。
さすがにそちらは知っていることしかありませんでしたが、人工知能に触れたことがない人からするとこちらの章も興味深く読めるのではと思います。
以上です。
よろしくお願いします。
- 作者: サイモンシン,Simon Singh,青木薫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/06/28
- メディア: 文庫
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【読書】ジーヴスの事件簿 〜大胆不敵の巻〜 感想
お疲れ様です。
- 作者: P.G.ウッドハウス,P.G. Wodehouse,岩永正勝,小山太一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/06/10
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 8回
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時は20世紀初頭。ロンドンのマンションの一室に、執事ジーヴスは今朝も流れるように紅茶を携えやってくる。村の牧師の長説教レースから実らぬ恋の相談まで、ご主人バーティの難題をややいじわるな脳細胞が華麗に解決(?)。バーティたちが通うドローンズ倶楽部の愉快な面々も少し顔をのぞかせる、ユーモア小説傑作選第2弾!
才智縦横の巻を読んですぐこちらも読みました。
前巻からバーティとジーヴスがより打ち解けたのか、一層二人の掛け合いが面白くなっています。
バーティとジーヴスの関係性を知ってからの方が楽しめる本ですので、先に才智縦横の巻を読んでからこちらを読むことをオススメします。
二人の掛け合いの例を1つ。
町の小学校での運動行事。バーティと親友(?)のビンゴは、各競技の裏で行われている賭け事に参加します。
学校には、一見運動などできそうにない体型のハロルドという少年がいるのですが、ジーヴスは以前、いたずらをするハロルドを懲らしめようと追いかけ、彼が実は足がとても速いことを知っていました。
レースでハロルドに賭ければ大儲けできると目論むバーティとビンゴですが、行事が始まる数日前、胴元のステグルスにハロルドが走っているところを偶然目撃されてしまいます。
「ステグルスは、レースの前に子供をつぶしにかかるぞ」
「なんだって!それは考えなかった」ビンゴはぎょっとした様子だった。「そこまでやると思うか?」
「やつならきっとやる。ステグルスは悪いやつだ。ジーヴス、これからはぼくら、鷹の如く見張らなきゃならんぞ」
「もちろんでございます」
「連日連夜の不寝番だ」
「さようでございます」
「ハロルドの部屋でいっしょに寝てくれるか?」
「ご遠慮申し上げます」
「ぼくも嫌だなそれは。しかしだ」・・・
ジーヴス、それは断るんかい(笑)
二人の軽快なやり取りが心地よく、どんどん読み進められました。
この小説はもともとイギリス文学なのですが、そのまま翻訳されているとすると、日本での3段落ちというのは実は世界共通で使えるユーモアの手法なんだなと気づきます。
先程の箇所でも、
「ジーヴス、これからはぼくら、鷹の如く見張らなきゃならんぞ」
「もちろんでございます」
「ハロルドの部屋でいっしょに寝てくれるか?」
「ご遠慮申し上げます」
この形だと物足りない感じがします。
「連日連夜の不寝番だ」
「さようでございます」
この2行が入っていることで良いタメとなり、次の「ご遠慮申し上げます」が生きるのだなと。
各章で起こる事件はどれもただの厄介事という程度の話で、特に大きな問題はないです。そういう訳で、内容をじっくり考えるというよりも、肩の力を抜いて二人の軽快なトークを楽しみ、たまにクスッと笑える箇所があるという、ユーモア小説としてとても良くできてる作品でした。
文庫版はこの2冊しかないですが、ジーヴスのシリーズ自体はまだまだたくさんあるようで、機会があれば今度はそちらも読んでみたいと思います。
以上です。
よろしくお願いします。
【読書】ジーヴスの事件簿-才智縦横の巻
お疲れ様です。
- 作者: P.G.ウッドハウス,P.G. Wodehouse,岩永正勝,小山太一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/05/10
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20世紀初頭のロンドン。気はいいが少しおつむのゆるい金持ち青年バーティには、厄介事が盛りだくさん。親友ビンゴには浮かれた恋の片棒を担がされ、アガサ叔母は次々面倒な縁談を持ってくる。だがバーティには嫌味なほど優秀な執事がついていた。どんな難題もそつなく解決する彼の名は、ジーヴス!世界的ユーモア小説の傑作選。
本屋で何か面白そうな本ないかなーと物色していたら発見。
全く知らなかったのですが表紙に興味を惹かれて買いました。
初版は2011年なので月日は経っていますが、平積みにされてたんですよね。
なぜだろうと思っていたのですが、どうやら皇后陛下がこの本についてお話をされたそうですね。
この話については正直全く知らなかったのですが、これを読んでおけばいつ園遊会の招待状が届いても良さそうです。
「事件簿」とありますが、いわゆる探偵ものとは毛色が異なり、青年バーティの身に起こる厄介事を執事のジーヴスが上手く良い方向へ導いてくれるといったお話です。
バーティが望む方向へいくために助言をするのですが、バーティを助けると同時に、実は裏で別のことと繋がっていて結局一番得をしているのはジーヴスという(笑)。
これを読んでいると、この前買ったスイッチ用ソフト「WORK×WORK」をなんとなく思い出しました。
このゲームも、頭の悪い?王子を上手くダンジョン攻略に導くといったものなのですが、こういう頭の切れる裏方の活躍って見てて面白いですよね。
短編集になっていて、上記サイトを見てもかなりたくさんのシリーズが出ていることがわかります。
ちなみにこの文庫版でも、もう1つ別のが出ております。
- 作者: P.G.ウッドハウス,P.G. Wodehouse,岩永正勝,小山太一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/06/10
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こちらについても一緒に購入したので、次はこれを読んでみようと思います。
以上です。
よろしくお願いします。
好きな人が嫌いなやつにチョコをあげている現実を見たくないのでバレンタインは反対です
お疲れ様です。
これを読みました。
僕はバレンタイン反対派です。
でもね、これ読んでると思うのが、なんか男性の反対派意見ってめっちゃ気取ってません?
違うだろと。あ、間違えた。
ちーがーうーだーろー!!と
だってもうほら、一番上に書いてある意見が「めんどくさいから」で、その後「甘いものが苦手」ですよ。
お前ら何様やねんと。あれか、少女漫画で髪の色が白黒で見ると真っ白でこいつ何色やねんと思ってたらカラーになったら薄緑のサラサラヘアーでいつもちょっと眠そうにしてて女の子がドキドキしながら話すと大事なとこで寝てて「立ったまま寝てるーー!!」みたいな感じで「あ、わりぃ」とか言いながら肝心なとこでは優しいあれか!お前らあれか!
なんでバレンタイン反対派の意見がみんな自分がもらってる前提やねんって話ですよ。
第一この質問もおかしい。「もらいたい派」と「もらいたくない派」て。
「賛成派」と「反対派」ちゃうんかいと。
もうね、反対派のみなさんがお前ら流川楓かよってことを言ってるんで、僕が代弁しましょう。
反対派の一番の理由、これです。
「好きな人が嫌いな奴にチョコをあげてるのを見るのが嫌」
どうですか有権者の皆さん!これですよね!
なんで見たくもないものを見なあかんねんってことですよね!
ほら、むしろ「好きな人がチョコをあげてるやつを嫌いになる」みたいなとこありますよね!
・・・え?あまり響いてない?
いや完全にこれでしょ。
なんかもう自分がその人と仲良くすることは諦めてるんですよ。そういう意味では毎日の生活は全くの0なわけです。
でもね、こういうイベントの日っていうのは他のやつと仲良くしてるのがどうしても目につく。そういう意味ではもうマイナスイベントじゃないですか。苦行でしかないと。
しかもそいつは別にその人を意識してないから幾つか貰ったうちの一つでしかないみたいなのがまた嫌ですよね。
片手間であんなに仲良くできるやつがいながら、自分は全く仲良くなれないという普段は見ないようにしている現実を見ないといけない日がバレンタインなんです。
「こんなに苦しいなら、悲しいなら、バレンタインなどいらぬ!!」
・・・まあこういう意見は確かに社会人になったら少なくなるとは思いますけど、学生時代はまずこれなはず。
てか今の時代SNSとかでよりそういうのを見る機会が増えて今の学生さんとかしんどいやろなーと。
だってあれでしょ、Facebookでのコメント欄でめっちゃ仲良さそうにしてたり、そいつが旅行のをあげてたら「良いなー、私も行ってみたい♪」とか、なんか食べ物作ってたら「美味しそう♪」とかコメントつけてるのを見るわけでしょう。
なんかもう見るたびナイフでえぐられてもうほとんど赤身の部分残ってないみたいになるじゃないですか。こっちはリングに上がるのを諦めたのに観客席にいる自分をボコボコにしてくるじゃないですか。
じゃあ見なきゃいいじゃんと思うんですけど、どうしても見ちゃうでしょう。
この感覚なんなんでしょうね。見ても良いこと一つもないのは完全にわかってるのに見ないわけにいかない。
心が弱いんですよねー。
こういうのが年を取ったらなくなると思ってたんですけど、電車に乗っててお年寄りがツアーみたいなのしてるとね、完全におじいさんからおばあさんへの矢印見える時あるじゃないですか。こっちからしたらみんな同じに見えるのに、あの人達からしたら完全にこのおじいさんこのおばあさんの気をひこうとしてるわみたいな。
ああいうの見てると、あー、僕ずっとこんな気持ちを抱えながら生きていかなあかんのか。しんどいなーと。なんかもうこういう不毛な気持ちを悩んでいる時間を何かに打ち込んでたらプロレベルまで上達してるんじゃないかと。このしょーもない悩みを積み木にしたら大気圏外まで届くんじゃないかとか考えるわけです。
以上です。
よろしくお願いします。
今週のお題「バレンタインデー」
松たか子の『おとなの掟』の「は、グレー」のとこめっちゃ可愛い
お疲れ様です。
カルテットを全話見ましたが、松たか子が可愛い。満島ひかり?吉岡里帆?いやいやあのドラマで真に可愛いのは松たか子だということを押していきたい。満島ひかりをなんか優しい顔で見てる時の松たか子が可愛い。逃げ恥が終わってガッキーがもう見れなくなったわーってカルテットを見なかった人たちの家にクリスマスに煙突からカルテットのDVD-BOXを送りつけたい。どうでもいいけど今年絶対サンタクロースにかけて忖度ロースっていうボケをするやつがいると思う。まじでどうでもいい。わかった逃げ恥のガッキーが可愛いのはもう認める。けどね、なんかもうあれは可愛さの暴力じゃないですか。正面から可愛さで殴ってきてボコボコにしてくるじゃないですか。松たか子は可愛さを出していないように見せてふとした仕草とかからにじみ出てくる可愛さがめっちゃ可愛いんですよ。「え、私別に可愛い派じゃないよー」っていうのを出しておいてふとした瞬間に「残念でしたー♪実は可愛いんでーす♪」って感じを出してくるじゃないですか。あれなんすか。満島ひかりと話してて自然に笑ってるシーンとかめっちゃ僕の心臓辺りを捕まえてくるんですけど。例えるならばガッキーは肉とか魚とかでそのまま食べるのに対して松たか子はダシとって飲みたいみたいな感じと思ったけどこれ全然伝わらないし自分で言ってみても全く意味わからんかったのでやっぱ無しで。
あー松たか子と他愛もない話がしたい。飲み会の時に松たか子と話しててちょうどここでオチだっていう手前でEXILEのアスパラガスみたいなやつに「うえ~い、たか子ちゃん飲んでるー!?」的な感じで割って入られて「あー、今日も上手く話せなかったなー」とか思いながらアスパラガスのデカい不快な声が耳に入ってくる感じで飲み会やっぱ嫌いやわーと思いながらもアスパラガスの全然面白くないボケに対してアスパラガスは一応先輩なので愛想笑いしてやり過ごしてたらしばらくしてアスパラガスがどっか別のとこに行った後に、さっきの話の続きを話したいけどもう僕の話なんかに興味ないんだろうなーとか思ってたら松たか子から「で、さっきの話の続きは?」ってあの自然な微笑みの感じで言われて内心めっちゃ喜びながら平静を装って続きを話したい。てかmiwaって飲み会で僕・miwa・なんかイケイケの野郎の並びになった時にずっとこっちに背を向けて気づかないフリしてイケイケの野郎と二人で話してるタイプですよね。僕くらいになると一目でわかるんですよ。
でね、カルテットの主題歌を主演4人で歌ってるんですけど、それもやばい。可愛い。
カルテット主題歌 おとなの掟 / Doughnuts Hole (作詞曲 - 椎名林檎 )
これ全曲通して聞くと3分半くらいの曲なんですけど、最初の方ずっとサビがこないんです。てか僕がサビと認識してるとこがサビかわかんないんですけど「そう人生はーながい」あたりがくるのが大分後半なんですよ。それまで松たか子は割りと低音でカッコいい感じの声で歌ってるんですけど後半で「自由を手にした僕らはグレー」っていう歌詞があって、そこの「はグレー」の4文字で可愛さが隠せてないのがにじみ出ててそれが可愛い。さっきの話で言うところの「実は可愛いんでーす♪」の部分が「はグレー」に出てる。いやもう「はグレー」だけをずっと繰り返す目覚まし時計ほしい。仕事で疲れて帰りの車の中でひたすら「はグレー」だけをループしたい。
とりあえず今後は松たか子との夫婦役を目指して脚本家の道に踏み出そうと思います。
以上です。
よろしくお願いします。