選択的夫婦別姓制度は現制度の改良ではないという話
はじめに
選択的夫婦別姓について賛成反対どちらかの結論はない。選択的夫婦別姓制度は現制度の改良ではない。ただそれだけの話。
こんな意見を見つけた
「選択的」だから問題ないって言い続けてる人たち、「環境によって本当は選択できるはずなのに選択権が実質ない」という世の中にありふれた事象を認識してないので、夫婦別姓には賛成なんだけど馬鹿だと思う。 / “自民、公約の夫婦別姓検討を削除 慎重派に配慮か | 共同…” https://t.co/tlAAPM7BVB
— ズイショ (@zuiji_zuisho) 2021年10月13日
Twitterでこのような意見を見つけた。いやまあ見つけたというかこの人は自分がフォローしていてブログを見ていたりもする。この人の「息子に靴を履かせた話」が好きで、自分の娘もこういう風になるんだろうなーと思いながらこの前初めての靴を買った。試しに公園で履かせてみたら最初のうちは嫌がったものの、すぐに「あ、これを履けばこいつら外で歩くことを許可するんだな」と認識したらしい。今では外出する気配を感じ取ったらすぐに私に靴下と靴を履かせろとねだるようになった。思っていた反応とは違うがこれはこれで面白い。
一致する部分
この人のここから一連のつぶやきを見ていて、とても自分の感覚と一致するものを感じた。「選択的夫婦別姓はあくまで姓を選択できるようになっただけなので、そのまま同姓にしたい人には影響なく今より良い制度になったものだ」という意見に対してそれは違うだろというものである。自分は選択的夫婦別姓制度に対して緩やかな反対意識を持っていて、その理由がまさにこの部分にあった。今まで選択せずに同姓になれていた人達が選択制になったことで自分の思ったように進められないことは容易に考えられるはずなのに、そこを伏せた形で制度に賛成させようとするアプローチは違うだろうという話だ。
制度としての賛否
自分はこのような進め方をする人たちに対して強い反発心を持っている。この人達のせいで誰かが不都合を被ることがどうしても納得できない。ということで、制度自体にも反対の姿勢を取っている(取らざるを得ない)状況である。一方でこれを「緩やかな」反対としているのは、この理由が純粋な"制度"に対する賛否を考える上では関係のない部分だとも感じているからだ。本当に制度上困っている人がいる中で短絡的な感情で反対にするのは、結局のところこの人達とやっていることは変わらないのではないかとも考えている。
聞いてみた
このツイートの人は自分と同じ感覚を持っていながら制度には賛成(消極的賛成という表現)という姿勢であった。この思考を持っていてかつ自分とは違う結論の人にその考えを聞いてみたく質問をした。
ここから数件のズイショさんの発言を見て、自分も全く同意見を持っています。自分はそのような理由で選択制夫婦別姓には緩やかな反対意識を持っているのですが、ズイショさんが制度自体には賛成なのは現在不利益を被っている人達の解消はすべきだというところからなのでしょうか。
— ゆーかめ (@yu_chameleon) 2021年10月13日
他人が分かったつもりになって言葉足らずで書くのも違うので賛成の理由は省くが、相手への感情と制度への考えは分けるべきであると考えていることが感じられた。結論としての賛成反対については、文字だけのやり取りでお互いの意図を汲み取ることは難しいのでそこについては言及すべきではないと考えた。しかしながら、現在の制度(姓変更後の手続きの煩雑さを含めて)が完全な正解ではないこと、上記のように感情と制度は分けるべきであることについてはその通りだと思う。
結局どうなんだろう
改めて自分も制度について賛成反対を考えたが答えは出なかった。冒頭にもあるが特に何か結論として書くつもりはない。選択的夫婦別姓制度は現制度の改良ではない。ただそれだけの話。